【オススメ本】スタジオジブリ物語(集英社)鈴木敏夫(責任編集)
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ぼくらは
ジブリに育ててもらった
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なんと陳腐な言葉でしょうか。
「ぼくらはジブリに育ててもらった」
それでもそう思わずにはいられません。
集英社から出版された 「スタジオジブリ物語」を読みながら思いました。
ぼくの故郷は千葉県の南にある小さな港町です。
近所に映画館はありません。
電車に1時間乗らないと
映画館がある町にたどり着けないのです。
一筋の光が、
ときどきTVで放送されるジブリ映画でした。
人間にとって大切なことをたくさん教わりました
仲間の気持ちを鎮めるためだけに
腐海の中でマスクを外し、笑ってみせたナウシカの姿に
(風の谷のナウシカ)
本当は自分も誰かに甘えたいのをガマンして
メイの面倒をみるサツキの姿に
(となりのトトロ)
好きなこと(小説)で生きていくつらさと
どうしようもない憧れにようやく気づき、
涙をこぼした月島雫の姿に
(耳をすませば)
たった二人で生きた兄妹の姿に
(火垂るの墓)
そこに余計なセリフはなく、
その瞬間にどう生きたかが、丹念に描かれています。
いま世間を見渡せば そこかしこに悲しい光景があります。
呼吸をするように、火のついたタバコを捨て
いっぱいになったゴミ箱の上に、
平然とペットボトルを置いていく人もいます。
それでも、時折見られる日本人のかくも気高き姿。
サッカーW杯では試合後、
美しく片づけられたロッカールームが世界中で報じられ
2023年3月のWBCでも、
対戦相手に敬意を忘れない選手たちの姿がありました。
良心、思いやり、配慮、絆、ひとかけらの愛
これらを日本人の心に、かろうじてつなぎ止めてきたのは
ジブリ映画だとぼくは思っています。
もしも日本にジブリがなかったら、
日本人はもっと人相が悪くなっていたと本気で思うのです。
スタジオジブリ物語
この本には、
1984年に公開された「風の谷のナウシカ」から
宮崎駿監督 最新作「君たちはどう生きるか」までの制作秘話が、
おどろくべき丁寧さで描かれています。
はたからみれば、
次から次へとヒットを飛ばし順風満帆に見えたジブリという大きな船も、
内情は全く違っていました。
大嵐の中、いつ沈没するかわからない、
ギリギリで勝負していたことを知りました。
そんなよれよれな船の舳先に立っていたのは
主にこの3人です。
高畑勲さん(故人)
宮崎駿さん※本では「宮﨑」と表記
鈴木敏夫さん
この3人にまつわるエピソードはどれも抜群に面白く、
冒険心と情熱と冷徹なまでのこだわりに、満ち満ちています。
それでも、ぼくの心に刺さったのは
158ページに書かれた、
近藤喜文(よしふみ)監督のコトバでした。
近藤さんは映画「耳をすませば」で監督をつとめた方です。
「もののけ姫はこうして生まれた」
というドキュメンタリーで、お顔を見ましたが、
とても穏やかそうで優しい風貌をされていました。
一癖も二癖もあるアニメーターたちの中で、
きわめて常識人だったのではないかと、勝手に想像しています。
そんな近藤さんが、
宮崎監督と怒鳴り合いの大喧嘩をしたエピソードが書かれていました。
「耳をすませば」の主題歌「カントリーロード」
その歌詞の一節(日本語訳)をめぐって揉めたそうです。
たった一行の短い文章です。
最後は、近藤さんが折れて、
宮崎さんの案が採用されました。
「温厚な近藤さんが、
なぜあんなにも感情をたぎらせたのか?」
後日、鈴木敏夫さんに明かした、
近藤さんのコトバが158ページにありました。
……ダメでした。
そのコトバを読んだ瞬間、嗚咽がもれました。
アニメはあくまで作り物だし、消費される商品です。
それでも時に、神様の差配(さはい)によって
作り手の人生と作品、
二本の糸が交わることがあります。
そんな運命を感じた作品だからこそ、
たとえ相手が宮崎駿であろうと、近藤さんは一歩も引かなかったのです。
近藤さんは47歳でこの世を去っています(1998年死去)
ぼくはいま48歳。
いつの間にか、近藤さんをこえてしまいましたが、
なしえた仕事は、きっと100分の1にも届いていません。
こんな宝石のようなエピソードが全編に散りばめられた本です。
ジブリという熱風にあてられ、
いつの間にか一緒にお神輿をかついでいた
心優しき職人たちの涙ぐましい研鑽(けんさん)に、心が震える1冊です。
レビューのようでエッセイのような
ヘンな文章になって申し訳ありません。
お伝えしたいことは一つ。
読んで欲しい。
ただそれだけなのです。
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